棕櫚の主日
先日の日曜日は「棕櫚(しゅろ)の主日」でした。
イエス・キリストが十字架の直前にエルサレムに来られたことを記念する日で、人々がなつめやしの枝を切って来て道に敷いてイエスをお迎えしました。
この「なつめやし」が古い訳では「しゅろ」となっていたので「棕櫚の主日」と呼ばれています。
この時、喜んでイエスを迎えた群衆が、金曜日には「十字架につけろ」と叫ぶのです。
自分たちが勝手に思い描いていた「メシア」像、イエスがそれとは違う方だと分かった時の、掌を返したようなイエスに対する仕打ち――このような罪を、私たちは持っているのだということでしょう。
そのような私たちが赦され、神との関係を回復することができたことへの感謝を覚えつつ、この一週間の「受難週」を過ごしていきたいと思います。
「群衆は、前を行く者も後に従う者も叫んだ。
『ダビデの子にホサナ。
主の名によって来られる方に
祝福があるように。』」
(マタイによる福音書21章9節;日本聖書協会『聖書協会共同訳聖書』)
*「ホサナ」=「どうか、救ってください」
動画は、ツィポリの「ホ短調のヴェルソ第4番」です。
テーマの最初の部分が、同音反復を除くと「ソ・ファ#・シ・ミ」という十字架を思わせる音型であるところが、受難週に合うと思って選びました。