不協和と掛留
「罪=神との関係の破壊」という重い話を何回か書きましたが、もとはと言えば人間の側に原因があった「罪」ということについて、神の御子であるイエス・キリストが十字架という犠牲を払って、その解決を図ろうとしてくださったのは、驚くべきことだと言えます。
このような、キリストの私たちに対する愛に満ちあふれたあり方を、聖書では「真実」と表現します。
「人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、ただイエス・キリストの真実によるのだということを知って、私たちもキリスト・イエスを信じました。」(聖書・ガラテヤ書2章16節)
人が義とされる、すなわち「罪」という問題を解決できるのは、イエス・キリストの真実-大きな愛に基づいた真実だけなのだ、という言葉です。
十字架を思い起こし、キリストの真実を味わうために行われるのが、聖餐式(プロテスタントでの言い方;カトリックでは聖体拝領)です。
聖餐式の賛美歌「しみも咎も」を、同様の用途のために作られたイタリア・バロックの作品に倣って、「不協和と掛留」を多用した作品に編曲しました(とはいっても、和声は近代以降のものも使っていますが)。
元の賛美歌を、三倍位遅いテンポにして、拍子も三拍子から四拍子に変えています。
☆原曲は、日本の賛美曲集には以下のように収められています:
聖歌206番、新聖歌49番、教会福音讃美歌261番
曲のみ同一:讃美歌404番・478番、讃美歌21-466番