Pastore-Organista’s diary

リードオルガンと聖書のお話のブログです。

これがモデルです~不協和と掛留

前回、「イタリア・バロックの作品に倣って、賛美歌を『不協和と掛留』を多用した作品に編曲しました」と書きましたが、実際にモデルにした作品とはどのようなものだったのか。

その一つの例をご紹介します。

ジローラモ・フレスコバルディ(1583-1643)の『音楽の花束 Fiori Musicali』に納められた「マドンナのミサ」の中の「聖体奉挙のためのトッカータ」です。

トッカータ」といっても、華やかな演奏技巧を駆使した作品ではなく、静かなゆったりとした作品で、イタリアのパイプオルガンの最も基本的なストップ(音色)である”Principale”のみを使って演奏します。

岐阜県白川町の町民会館にある、イタリア・バロック様式のパイプオルガン(辻オルガン制作)を弾く機会がありましたので、そこで収録してきました。

 

この曲は、イエス・キリストの十字架を想い起こす、ミサの中でも最も内省的な時間のために作られた作品です。

ミサ出席者は「私を救った十字架」という思いで聴きますし、作曲者も深い思いを込めて作るわけです。

ですから、「聖体奉挙のための」というタイトルがついた曲には、すばらしい作品が多いです。

「不協和と掛留」という技法によって、音が「ぶつかる」ということがたびたび起こります。

そのことによって、悲しみや苦しみが表現されるのですが、それは自分の内にある同じような感情と共鳴します。

そして、その「音のぶつかり」が解決していく時の何とも言えない美しさ。

それによって自分の悲しみや苦しみも溶かされて、心の深いところからいやされていく-そういう音楽です。

 

聖書のイザヤ書53章5節というところに、イエス・キリストの十字架を預言した、このような言葉があります:

 彼は私たちの背きのために刺し貫かれ

 私たちの過ちのために打ち砕かれた。

 彼が受けた懲らしめによって

  私たちに平安が与えられ

 彼が受けた打ち傷によって私たちは癒やされた。

 

まさにこの内容を「不協和と掛留」によって表現した作品、それが「聖体奉挙のためのトッカータ」なのです。

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