Pastore-Organista’s diary

リードオルガンと聖書のお話のブログです。

平和の賛歌

昨年の終戦記念日(8月15日)に、グレゴリオ聖歌の「神の小羊」(主日のミサより)をオルガン用にアレンジした作品を You Tube にアップしました。

このアレンジの楽譜を出版いたしましたので、おこがましくも宣伝させていただきます (^^ゞ

 

「神の小羊」という歌は、イエス・キリストに「我らに平和を与えたまえ」と祈る歌詞が含まれていることから、別名「平和の賛歌」と呼ばれます。

争いのやまないこの世界に、神の小羊なるキリストが真の平和を実現してくださるよう、祈りつつ。

「その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。『見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。』」

ヨハネによる福音書1章29節;日本聖書協会『聖書協会共同訳聖書』)

 

☆楽譜は次のサイトから購入できます。

 https://music-bells.com/?pid=168724443

 お用いいただけると幸いです。

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十字架による救いの喜び

ここ数週間、個人的に大変な時期でしたので、ブログの更新ができませんでした。

またぼちぼち続けていこうと思います。

 

今回は、ジュゼッペ・ゲラルデスキの「聖体拝領後のために ニ長調」の動画をアップしました。

楽しい曲に作られていますが、イエス・キリストの十字架を覚える「聖体拝領」の後に弾かれる曲なので、救いの喜びを表現したのだ、ということではないかと思います。

 

「私はキリストと共に十字架につけられました。生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです。」

(ガラテヤの信徒への手紙2章19~20節;日本聖書協会『聖書協会共同訳聖書』)

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思いがけない主の祝福

冷めた目で見たら「とても感謝できるような状況ではない」というような時に、思いがけない主の祝福を発見することがあります。

おそらく信仰者たちは皆そういう経験をしながら、主に感謝するという歩みをしてきたのではないかと思います。

このブログの第1回目に、ジュゼッペ・ゲラルデスキという人の「奉献のために ニ長調」という曲をご紹介しましたが、今回この曲を弾き直して録画しました。

ミサの中の、「主に感謝してささげ物をする」という場面で弾かれる作品です。

思いがけない主の祝福に感謝して。

 

「目覚めよ、私の栄光よ。

 目覚めよ、竪琴よ、琴よ。

 私は暁を目覚めさせよう。

 わが主よ、もろもろの民の中であなたに感謝し

 国々の中であなたをほめ歌おう。」

詩編57編9~10節;日本聖書協会『聖書協会共同訳聖書』)

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私の助けは主のもとから

個人的に多忙だったため、前回の投稿から二週間あいてしまいました。

パッヘルベルの「目覚めよ、わが心よ」による変奏曲の、第四変奏をアップしました。

それまでの変奏と比べて声部数が二声に減らされたことにより、細かに移り変わっていくリズムが引き立つ感じがします。

この作品のもととなった賛美歌の歌詞は、「主の守り」という内容ですが、本当に主の守り、主の助けを期待しつつ歩む今日この頃です。

 

「私は山々に向かって目を上げる。私の助けはどこから来るのか。

 私の助けは主のもとから/天と地を造られた方のもとから。」

詩編121編1~2節;日本聖書協会『聖書協会共同訳聖書』)

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主の守りの中を

パッヘルベルの「目覚めよ、わが心よ」による変奏曲の、第三変奏をアップしました。

流れるようなバスが、コラールの旋律を支えるかたちで書かれています。

このバスの流れる感じを出したくて、4フィート(オクターブ高い音が出る)のストップで弾きました。

元となったコラールには、「主なる神による守り」ということが重要なモチーフとして出てきます。

個人的にも、主の守りを確信して、主の御手の中で歩んで行きたいと、あらためて思わされている今日この頃です。

 

「主は私の魂を生き返らせ/御名にふさわしく、正しい道へと導かれる。

 たとえ死の陰の谷を歩むとも/私は災いを恐れない。

 あなたは私と共におられ/あなたの鞭と杖が私を慰める。」

詩編23編3~4節;日本聖書協会『聖書協会共同訳聖書』)

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キリストと十字架を想う

イタリア・バロックのオルガン音楽の大家、ジローラモ・フレスコバルディ(1583-1643)の「トッカータ第4番(トッカータ集第2巻より)」を弾きました。

「聖体奉挙のために」と副題のついているこの曲は、イエス・キリストの十字架の場面を音で表現した、内省的な作品です。

例えば、半音階や不協和音は苦しみを表現するために使われています。

また、掛留(suspension)は、キリストが十字架にかけられた(suspended)様子の象徴だそうです。

曲の後半に出てくる、16分音符と付点8分音符からなる「タターー、タターー」というリズム(ロンバルディア・リズムと呼ばれます)は、人々のすすり泣きの声を模したものと言われています。

 

私たちのために十字架で苦しまれたキリストを想うことは、私たち苦しみの中にある人類と連帯してくださっているキリストを見ることです。

私たちと苦しみを共に担ってくださる方だからこそ、私たちを罪からいやすことができる方なのです。

 

「彼は私たちの背きのために刺し貫かれ/私たちの過ちのために打ち砕かれた。彼が受けた懲らしめによって/私たちに平安が与えられ/彼が受けた打ち傷によって私たちは癒やされた。」

イザヤ書53章5節;日本聖書協会『聖書協会共同訳聖書』)

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復活の朝の静けさ

「すると、イエスが行く手に立っていて、『おはよう』と言われたので、女たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。」

(マタイによる福音書28章9節;日本聖書協会『聖書協会共同訳聖書』)

 

聖書に書かれているイエス・キリストの復活の記事は、とても静かです。

天使の大合唱もありませんし、輝かしいラッパの音もありません。

大きな音がしたとすれば、天使が降りて来て地震が起きた、と書かれていることのみ。

圧倒的な光景で有無を言わさずに信じさせるのではなくて、自分の目でしっかりと復活の事実を見るように、と促されているような気がします。

 

今年の復活節に、もう一回復活の賛美歌をアップしようと思い、『喜び祝え、わが心よ』を弾きました。

まずは復活という言葉から連想されるように力強い感じで二節弾き、その後賛美歌のモチーフを使った静かな黙想曲を続けて、復活の朝の静けさを表現してみました。

 

☆この賛美歌は、日本の賛美曲集では以下のように収録されています:

 讃美歌153番、讃美歌21-323番、新聖歌125番、教会福音讃美歌147番 他

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