Pastore-Organista’s diary

リードオルガンと聖書のお話のブログです。

「信仰」という言葉の意味

おそらくどの宗教でも、「信仰」とか「信心」とかいった言葉を使うのではないかと思います。

キリスト教の聖書にも、もちろん「信仰」という言葉が出て来ます。

「信仰」と言われると、「がんばって修行したり、良い行いをしたりして、徳を積む」といったイメージがありますが、聖書が言っている「信仰」というのは、実はそれとはかなり趣が違うのです。

 

エフェソの信徒への手紙2章8節にこのように書かれています:

「あなたがたは恵みにより、信仰を通して救われたのです。それは、あなたがたの力によるのではなく、神の賜物です。」

「恵み」とは何かというと、上記の言葉の後半にあるように、神が賜物(プレゼント)として私たちに与えてくださることを表現した言葉です。

さらに「あなたがたの力によるのではなく」とありますので、私たちが何か良い行いをしたからそのごほうびに、というのではなく、何の見返りも求めずに無償で与えられるものです。

 

そこで、肝心の「信仰」とは何かということですが、これは「信頼」という言葉に置き換えることができます。

「信仰を通して救われた」というのは、神を信頼して、神が下さるプレゼントである救いを受け取ることです。

プレゼントは、贈っただけではなく、相手が受け取ってくれなければ成立しません。

それと同じで、神が差し出してくださった救いを、私たちが受け取ってはじめて救いが成立するのです。

そして、神という方は、私たちを愛し慈しんでくださる方ですので、ぜひ信頼して救いを受け取っていただけたら、と思います。

 

動画は、ジュゼッペ・ゲラルデスキ(イタリア;1759-1815)の『聖体奉挙のために ニ長調』です。

私たちの救いのために行われた、十字架のことを想い起こすための曲、と言うことができます。

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