多くの部分、全体は一つ
ここ数日、教会やほかのところでやることが多く、またまたブログの更新が滞っていました。
久しぶりに投稿します。
今日は、ジローラモ・フレスコバルディ(イタリア;1583-1643)のオルガン・ミサ曲集『音楽の花束』から、『聖母のミサ』冒頭のトッカータをご紹介します。
短いながら、フレスコバルディのインスピレーションや歌ごころを味わうことのできる作品だと思います。
この曲をはじめて学んだ時、先生から「テンポを変えずに弾いてはいけない」と言われ、驚いたのを覚えています。
その後に学んだことも含めて、テンポに関して「いかにもイタリアっぽい」と感じたのは、次のようなことです:
・始まりはゆっくりと
・同じパターンが続くときはアッチェレランドで(だんだん速く)
・不協和音は長く弾いて、十分に聴かせる
動画の作品は、いろいろな要素が一つとなって曲が成り立っていることが分かります。
コリントの信徒への手紙第一の12章20節には、教会という共同体について、次のように書かれています:「しかし実際は、多くの部分があっても、体は一つなのです。」
これは、教会にはいろいろな人がいて、それでいて一つであることを表した言葉です。
動画のような作品を聞くと、この聖書の言葉を思い出します。