「憐れんでください」という祈り
私たちの教会では、今日の礼拝で久しぶりに聖餐式を行いました。
聖餐式というのは、イエス・キリストの十字架を覚えるための儀式で、十字架で裂かれたキリストの体を象徴するパンと、十字架で流された血を象徴するぶどうの杯をいただきます。
飲食を伴う式ですので、コロナの影響でしばらく行うことができず、実に七か月ぶりでした。
礼拝での聖書のお話(説教)も、それに関連のある話をしました。
ルカによる福音書18章9~14節というところに書かれているたとえ話を取り上げました。
このたとえ話では、二人の人が神殿に来て祈った、という場面が描かれています。
一人は「ファリサイ派」の人で、簡単に言うと宗教的にも生活面でも「正しい」人、もう一人は「徴税人」という職業の人で、「罪人」呼ばわりされることの多い職業の人でした。
祈りの中で、「ファリサイ派」の人は、自分は正しく生きていること、宗教的にも熱心であることを神に申し上げ、「私は、この徴税人のような人間でないことを感謝します」と言いました。
一方の「徴税人」は、深く悲しみながら「神様、罪人の私を憐れんでください」と祈りました。
この二人のうち、「義とされて家に帰ったのは徴税人である。ファリサイ派の人ではない」という結果になったのです。
神の前に自分の罪深さ(神に背いて生きてきたこと)を悲しみ、悔い改めて神を求めた人が義とされる(神との正しい関係に入れられる)ということを、この話は教えています。
自分には、本当は「正しい」と誇れるようなことは何もない、神に憐れんでいただかなければ残念な生き方を続けることしかできない、そういう私たちがイエス・キリストの十字架によって義とされるのだ-そういうお話をして、聖餐式でその恵みを味わいました。
徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。「神様、罪人の私を憐れんでください。」言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。
(ルカによる福音書18章13~14節)
動画は、「人よ、汝が罪の」という賛美歌です。
「人よ、汝(な)が罪の大いなるをなげき」という歌詞で始まるこの賛美歌は、「神様、罪人の私を憐れんでください」という徴税人の祈りを、自分の祈りとして祈るような曲であると言えます。
さらに、嘆いて終わりではなく、「十字架に感謝し、神の御旨に生きよう」という前向きな信仰にまで引き上げられるすばらしい内容を持った賛美歌です。
バッハがこの賛美歌に基づいて、マタイ受難曲やオルガン小曲集にすばらしい作品を収めたこともよく知られています。
☆この賛美歌は、日本の賛美曲集では以下のように収録されています:
讃美歌第二編99番、讃美歌21-294番、新聖歌119番、教会福音讃美歌124番