「感じ悪(-“-)」って思いますか?
18世紀イタリアの作曲家(なんと名前が分かっていません)の作ったオルガン・ミサ曲「メッサ・デル・ドッピオ」から、「キリエ(あわれみの賛歌)」の最初の部分を演奏しました。
「あわれみの賛歌」は、「主よあわれみたまえ」という歌詞を3回、「キリストよあわれみたまえ」を3回、さらに「主よあわれみたまえ」を3回、計9節歌うことになっています。
もともとは9節すべてを無伴奏のグレゴリオ聖歌で歌っていたのですが、奇数の節をオルガンの短い曲に置き換えた「アルテルナティム」という演奏形式が生まれました。
今回ご紹介するのは、最初の3回の「主よあわれみたまえ」について、アルテルナティム様式で弾いてみたものです(オルガン-歌-オルガン;ただし、歌の部分もオルガンの単旋律で弾いています)。
ところで、「あわれみたまえ」という言葉ですが、「自分を卑下して言っている言葉みたい」
「感じ悪(-“-)」
と思われる方もおられるでしょう。
しかも9回も「あわれみたまえ」って言わないと、神様に認めてもらえないのか、という気がするかもしれません。
しかし、「あわれみ」というのは相手を見下して「しょうがないな、あわれんでやるよ」というような上から目線の言葉ではなく、本当にその人の身になって、その人が苦しんでいれば自分もはらわたがずたずたになるほど苦しい思いをする-それほどの深い思いを表す言葉です。
新約聖書の「マタイによる福音書」20章というところに、こんな話が書かれています:
道端に座っていた二人の盲人が、イエスがお通りと聞いて、「主よ、ダビデの子よ、私たちを憐れんでください」と叫んだ。・・・イエスが深く憐れんで、その目に触れられると、盲人たちはすぐ見えるようになり、イエスに従った。
この盲人の方たちが叫んだ「憐れんでください」という言葉をそのまま、神の愛を願う賛歌として歌う、ということなのです。