成し遂げられた
最近、あらためてイエス・キリストの十字架と復活の個所を読みました。
ヨハネによる福音書では、イエスが十字架で「成し遂げられた」と言われてから息を引き取られた、と書かれています。
今さらながら「成し遂げられた」という言葉であったのだ、と気づきました。
それは、救いの完成を宣言する言葉であり――それがいかに十字架というみじめな光景に似つかわしくなかったとしても――勝利の宣言の言葉でした。
特にヨハネでは、「永遠の命が与えられる」ということを、救いの重点として描いています。
つまり、「成し遂げられた」とは、永遠の命への道が完成した、ということです。
「死」という言葉を聞くことの多い昨今、安易な慰めの言葉は気休めにしかならない――しかしイエス・キリストが、ご自分の命が今まさに終わろうとしている時にこの言葉を語られたことは、誰も反論できないような命の確信を与えると思います。
「イエスは、この酢を受けると、『成し遂げられた』と言い、頭を垂れて息を引き取られた。」
(ヨハネによる福音書19章30節;日本聖書協会『聖書協会共同訳聖書』)
動画は、パッヘルベルの「目覚めよ、わが心よ」による変奏曲の、第二変奏です。
第一変奏をアップしてから、一か月以上あいてしまいました (^^ゞ