正攻法では行きません・・・
前回書きましたエデンの園でのアダムとエバの生活、残念ながらそれは長くは続きませんでした。
神と彼らが交わした約束-「善悪の知識の木からは、実を取って食べることをしない」という約束を、彼らは破ってしまいました。
その結果、彼らはエデンの園を追放されることになりました。
と書くと、「え、たったそんなことだけで、神様は怒って彼らを追放したの?」と思うかもしれません。
しかしそれは、ただ単に「約束を破るという悪いことをした」ということなのではありません。
この約束は、神と人が共に生きる者としてお互いを愛し、信頼し合う、その証として結んだ約束でした。
それを破ったということは、「私はあなたとの約束を守って、あなたと共に生きていくのはもうたくさんです。私たちはあなたとは無関係に生きていきます」と表明したことにほかなりません。
ですから、神と共にいられない状態を作り出してしまったのは、彼ら自身だったのです。
彼らが行ったこと-すなわち「神との関係を切る」ということ、それを聖書では「罪」という言葉で表現します。
教会に行って、「罪」とか「罪人(つみびと)」という言葉を聞いて、いやな思いになったことのある方もいらっしゃると思いますが、実は「罪」の根本的な意味は、こういうことなのです。
その「罪」という性質を、彼らの子孫である私たち人類皆が継いでいくこととなってしまったのでした。
でも、聖書の醍醐味はここから始まります。
私たち人類の「罪」という問題を、神がその愛をもって解決していくというストーリーがスタートするのです。
・・・こういう内容の話に続いて紹介する音楽と言えば、「罪を悲しむ」という内容の賛美歌などがふさわしいのかもしれません。
でも、あえてここは正攻法ではなく、違った角度から曲を選びたいと思います。
イタリアのマルチェッロという人が作ったオーボエ協奏曲を、バッハが鍵盤楽器用に編曲した作品『アダージョ』をご紹介します。
聴いていただくとお分かりのように、深い悲しみを感じさせる曲です。
前回ご紹介した作品がやはり協奏曲を鍵盤楽器用に編曲したものでしたので、それに合わせるかたちでこの曲を選びました。